「プロフィール芦屋」カテゴリーアーカイブ

芦屋市に関する基礎情報を中心に書いていますよ。

芦屋学区一覧

芦屋市の市立中学校は三つあります。芦屋市北部から順に山手地域にある山手中学校、中央地域にある精道中学校と浜地域にある潮見中学校です。この中学校の学区内にそれぞれ小学校学区があって、小学校学区には芦屋市の各町(Town)が含まれています。この芦屋市地域から中学校、小学校~町名を下記のように表にまとめてみました。各町内名をクリックすると町内ページと町内のマンションや環境、公共施設などをご覧いただけます。

「狙え 灘中!」(芦屋市内から灘区の灘中・灘高までは通学圏内です)

山手小岩園小朝日ヶ丘小精道小宮川小打出浜小潮見小浜風小
剱谷、奥山、奥池町、奥池南町、山手町、山芦屋町、東芦屋町、西山町、三条町、大原町、船戸町、松ノ内町、月若町、西芦屋町、三条南町、上宮川町、業平町、前田町、清水町 六麓荘町、岩園町、翠ケ丘町、親王塚町、楠町

朝日ケ丘町、東山町

茶屋之町、大桝町、公光町、川西町、津知町、竹園町、 精道町、浜芦屋町、平田北町、伊勢町、松浜町、平田町


打出小槌町、宮塚町、若宮町、宮川町、浜町、西蔵町、呉川町
春日町、打出町、南宮町、大東町 若葉町、緑町、潮見町、陽光町、海洋町、南浜町、涼風町 新浜町、浜風町、高浜町

芦屋の年表 | 芦屋史と人

芦屋の年表|芦屋史と人

芦屋の歴史年表です。

参考文献:「あしや子供風土記、第6集、芦屋の地名をさぐる」(財団法人 芦屋市文化振興財団編)

1)旧石器 縄文時代(~2世紀)

・打出小槌遺跡

・山芦屋遺跡

朝日ヶ丘遺跡

2)弥生時代 (2世紀~)

・会下山遺跡

3)古墳時代 (4世紀~)

親王塚古墳

・金津山古墳

・八十塚古墳群

4)飛鳥・奈良時代 (7世紀~)

・芦屋廃寺創建

5)平安時代 (9世紀~)

・744年 芦屋処女(おとめ)の歌が万葉集に

6)鎌倉・南北朝時代 (13世紀~)

・1336年 楠木正成・足利尊氏の打出合戦

・1351年 足利尊氏・直義の打出浜合戦

7)室町・安土桃山時代 (15世紀~)

8)江戸時代 (17世紀~)

・1695年 打出村大火

・1769年 芦屋・打出村が天領に、三条・津知村が尼崎藩領に

・1841年 猿丸安持が奥山池の開さく始める

9)明治時代 (1900年~)

・1889年 町村制実施

・1905年 阪神電車開通、芦屋打出駅設置

10)大正時代 (1912年~)

・1913年 東海道線芦屋駅開設

・1920年 阪急電車開通、芦屋川駅

11)昭和時代 (1926年~)

・1927年 阪神国道開通

・1929年 六麓荘の開発始まる

・1940年 11月10日 市制施行

・1951年 芦屋国際文化住宅都市建設法公布

・1976年 埋立地の町名決まる

12)平成(1989年~)

・1995年1月17日 阪神・淡路大震災

・現在に至る

ぬえ塚|芦屋の伝説

ぬえ塚|芦屋の伝説

芦屋の浜に流れ着いた「ぬえ」の塚ですね。

ぬえの字は「鵺」で、夜の鳥です。

夜な夜な宮中の屋根の上に降りていたそうですね。

浜芦屋町の芦屋川沿いの松林が自慢の芦屋公園の中にあります。

兵庫県芦屋市平田町1番19号になります。

別章の芦屋の伝説もご覧ください。

ぬえ塚の伝説
ぬえ塚の伝説

芦屋市内の道路

芦屋市内の道路|芦屋マンションスタイル

 

芦屋市内には6本の国道が走っています。

 

これらの国道や幹線道路沿いには多くのマンション(芦屋市内)が建設されています。

 

 

1)山手幹線

 

天上川である芦屋川の下を通り抜ける山手幹線の工事が遅れていましたが、

 

阪神大震災の折の生活や復興物資の輸送に国道43号線や2号線が壊滅的となって使えず、

 

西宮側から神戸側に抜けられる貫通道路が必要とされ、

 

永年開通が待たれていましたが収用なども進んで、工事も2014年に開通しました。

 

 

2)国道2号線

 

芦屋市内のメイン道路です。

 

歌にもあった「夜霧の第2国道」なんでしょうか。

 

1027年に昔からの旧国道、西国街道(本街道)を拡張して建設されました。

 

現在はラーメン街道とも揶揄されるほどラーメン店が多いです。

 

ただ道路交通法で店の前に駐車でランチができなくなったりで、店主は大分困ったのではと思います。

 

またこの国道沿いには、中古マンションもたくさん建設されています。

 

一説では国道からの排気ガスや車の騒音を住宅地に流れさせないために、

 

7階建てなどの高いマンション建設が続々と全国的に誘導されたからなんですね。

 

 

 

3)鳴尾御影線

 

国道2号線と国道43号線の間を走る道路で、第2次世界大戦後、復興事業として1946年認可され、

 

1950年(昭和25年)ごろに完成されました。

 

旧西国街道沿いに、緑のケヤキ並木が残っています。

 

車の往来は比較的少なく、住環境はいいですね。

 

阪神電車の打出駅が通勤時の最寄の駅になっています。

 

 

4)国道43号線

 

旧浜街道を整備して、国道43号線が1960年(昭和38年)に開通しました。

 

現在、上り下り3車線づつあり、交通量の多い産業道路となっています。

 

大阪万博の前の1969年に国道43号線の上に阪神高速3号神戸線が開通しました。

 

あの阪神淡路大震災で横転したのがこの高速道路でした。

 

芦屋には上り入り口と下り出口が海を埋め立ててできた陽光町にあります。

 

 

5)阪神高速道路湾岸線

 

芦屋浜の埋め立てで昔の海岸線に沿ってできた道路です。

 

芦屋川の東岸から西宮にかけて建設され、それに沿って阪神高速5号湾岸線が走っていて、

 

芦屋の南浜にはこの東行き入り口と西行き入り口があります。

 

 

6)芦有ドライブウェイ

 

表六甲から裏六甲に抜ける観光開発と産業交通の目的で、

 

芦屋奥山から神戸市北区の有馬温泉まで10.7Kmの有料道路です。

 

阪急バスが芦屋駅前から有馬温泉駅(山口営業所行き)まで運行しており、

 

芦屋市営バスとして割安チケットも発売していました。(現在中断中?)

 

芦有ドライブウェイは株式会社芦有ドライブウェーが近隣観光施設とともに運営しています。

 

約20分での芦屋-有馬間往復料金が普通車で1400円と割高感があります。

 

中ほどにある展望台では眼下に遠く大阪湾まで望めます。夜景もかなり美しいです。

 

奥池に開発された住宅地に住む人々は通行のたびに通行料が必要です。

 

割引の定期券を発行しているようですね。

 

また最近の集中豪雨での土石崩れで1年くらい通行止めがありました。

 

くねくねのヘヤーピンカーブが続きます。