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親王寺 | 打出町

659-0022-3-21 親王寺 | 打出町

 

住居表示 | 〒659-0022 兵庫県芦屋市打出町3番21号

阿保山親王寺、国道43号線のすぐ北側にあります。

言い伝えによると在原業平の父君である阿保親王がこの地に住んでいたとことから、

1500年前の平安時代に建設されたそうです。

時代が江戸時代になり、

阿保親王の子孫である長州(山口県)の毛利の殿様が

参勤交代の折にはここに立ち寄って

宝物を贈ったりされたそうですよ。

 

阪急より上? | ほんまでっか

阪急より上? | ほんまでっか

え?芦屋なん?

どのへんに住んでる?

阪急より上?

いや~上やけど、たいしたことないんよ~

 

1)山手の地域

芦屋のことを少しかじった方との良くあるシーンですね。

広くてゆったりした敷地の住宅が多いのが山手と呼ばれる、岩園小学校や山手小学校の校区です。

ただ山手小学校は阪急電鉄線路より下の町まで入りますが。

 

たしかに岩園町や山芦屋町などはマンションやアパートが少なく、戸建ても多いですね。

ただマンションは高級なものも含めて、この山側にも多いですので、いちがいに戸建てばかりでもありません。

用途地域指定で昔の一種低層住宅地などが本来そうでしょうね。

 

上の図画芦屋市の用途地域図で、この阪急電鉄の上(北)側が、よく高級な山手といわれてしまうエリアなんです、(芦屋市引用

 

2)芦屋の山手イメージはどこから

むしろこの高級感があるのは、土地区画ではなくて、電鉄会社の利用客の上品さや文化度によるのかなと感じます。

阪急沿線(岡本、芦屋川、夙川、西宮北口、武庫之荘)の乗降客はマダム、沿線の学校に通う清楚なおじょうさんやサラリーマン層が多いです。

ときには宝塚音楽学校の生徒さんも見かけますね。

一方、阪神電鉄沿線(深江、芦屋、打出、香枦園、西宮、今津)の乗降客は、少しおばちゃんやおっちゃん多いですね。

さすが阪神タイガース球場がある甲子園駅にかようには便利ですが・・下町風ですね。

中間がJR東海道線神戸線沿線(住吉、芦屋、西宮、尼崎)でサラリーマン層や学生層、旅行客が多いです。

新快速が停車するので、新幹線新大阪駅にも大変便利ですのでビジネス客も多いですね。

 

このように、山手側から上、中、下の評価が市外の方からの評価ですね。

 

3)首都圏なら山手は

首都圏では山手と言っても山手線の中ではありません。

中心部からの発展の歴史が浅いところが、山手と呼ばれているような気がします。

山手線は明治時代、品川~渋谷~新宿~板橋~赤羽を結んでいました。上野・神田・有楽町・新橋など「海・川に近いほう」は江戸時代からの中心地で、鉄道を通す場所がなかったからです。そこで当時は未開の地だった「山に近いほう」に、バイパスとして山手線ができました。

山の手の高級イメージは、その後、この地域が急速に宅地化されたことによって生まれたものだと思います。

とありました

やはり電鉄の発展史によるのでしょう。

これは首都圏西部では京浜急行沿線、JR東海道線、東急各線の逆の順で下中上の関係に似ています。

また田園都市線、小田急線、京王線エリアも同様な上中下の格差型評価がありますね。

いいすぎでしょうか?

聞いた話しですがブラジルでは貧富格差のエリアは山手(がけ地)が貧、海側が富裕層と聞いたこともあります。

これは交通の利便性からでしょうね。

国や地域、発達の歴史によりけりですね。

 

レッテル貼りは一刀両断で快感ですが、やめたほうが良いでしょう。

 

(つづく)

 

 

 

芦屋は外車だらけ | ほんまでっか

芦屋は外車だらけ | ほんまでっか

1)外車の比率

芦屋市内の乗用車はたしかに外車が多いです。

宮川沿いのイカリスーパー前交差点で、

ボーっと昼下がりにウォッチしてみたら

通行する車のうち約30%程度は外車です。

この宮川けやき道路の神戸キッチンあたりの夏のケヤキ並木は緑が映えて美しいですね。

ミラノは緑の街路樹のトンネルに似ています。

交通量も多く、おとなりの山手の夙川、苦楽園や六麓荘町などから

芦屋市側に下ってくる車でにぎわいます。

どれくらいの外車があるかは、

ググって見ると大体3割くらいとブログなどには書かれていますね。

 

一番多いのはベンツ次はBMWが人気です。次はアウディと感じます。あとレクサスかな。

とくにベンツは外車の25%くらいを占めているのではと感じます。

統計的な数値は陸運局兵庫陸運部にお尋ねされればいかがかなと。

 

2)道路や住宅事情

芦屋市は道路が狭く、また坂道も多く、ハンドル操作が楽なように大型車種は少ないようです。

大きなお宅のガレージには2~3台入る車庫ありで、

ご主人(運転手付き)用、奥様用(子供の送迎)、普段買い物用(レクサスなどのハイブリッド国産小型)となっています。

でも前面道路が狭かったり、急坂(例の◎印がある)で車庫入れが結構大変なんです。

阪急芦屋川駅の高架付近は、塾通いの送迎会社で交通渋滞しますので、大型車種では摺るでしょう。

 

3)外車ブランド

写真は外車のバッジですね、見かけた外車ウォッチングはいかがでしょう。(引用

国別には

ドイツ     フォルクスワーゲン・ベンツ・BMW・アウディ・MINI・ポルシェなど
イギリス     ジャガー・ランドローバー・ローバー・ロールスロイスなど
イタリア     アルファロメオ・フィアット(FIAT)・フェラーリ・ランボルギーニなど
フランス     シトロエン・プジョー・ルノーなど
スウェーデン     ボルボ・サーブなど
アメリカ     キャデラック・クライスラー・ジープ(Jeep)・フォード・シボレー・ハマーなど

なぜかドイツ車が人気なんですね。

 

ちなみに外車正規ディーラー店は東灘~芦屋~西宮の2号線に集中しています。

やはり売れてるんですね。

①ベンツ
メルセデス・ベンツ神戸東灘(株式会社ヤナセ・神戸支店)
神戸市東灘区本山南町7-8-26

②BMW
Hanshin BMW 芦屋支店
芦屋市春日町1-5

③アウディ
Audi 西宮
〒663-8113 兵庫県西宮市甲子園口6-13-22

④ポルシェ
ポルシェ センター西宮
西宮市産所町11-31

⑤ワーゲン
Volkswagen西宮
兵庫県西宮市神楽町12-1

 

(つづく)

 

 

 

 

芦屋の年表 | 芦屋史と人

芦屋の年表|芦屋史と人

芦屋の歴史年表です。

参考文献:「あしや子供風土記、第6集、芦屋の地名をさぐる」(財団法人 芦屋市文化振興財団編)

1)旧石器 縄文時代(~2世紀)

・打出小槌遺跡

・山芦屋遺跡

朝日ヶ丘遺跡

2)弥生時代 (2世紀~)

・会下山遺跡

3)古墳時代 (4世紀~)

親王塚古墳

・金津山古墳

・八十塚古墳群

4)飛鳥・奈良時代 (7世紀~)

・芦屋廃寺創建

5)平安時代 (9世紀~)

・744年 芦屋処女(おとめ)の歌が万葉集に

6)鎌倉・南北朝時代 (13世紀~)

・1336年 楠木正成・足利尊氏の打出合戦

・1351年 足利尊氏・直義の打出浜合戦

7)室町・安土桃山時代 (15世紀~)

8)江戸時代 (17世紀~)

・1695年 打出村大火

・1769年 芦屋・打出村が天領に、三条・津知村が尼崎藩領に

・1841年 猿丸安持が奥山池の開さく始める

9)明治時代 (1900年~)

・1889年 町村制実施

・1905年 阪神電車開通、芦屋打出駅設置

10)大正時代 (1912年~)

・1913年 東海道線芦屋駅開設

・1920年 阪急電車開通、芦屋川駅

11)昭和時代 (1926年~)

・1927年 阪神国道開通

・1929年 六麓荘の開発始まる

・1940年 11月10日 市制施行

・1951年 芦屋国際文化住宅都市建設法公布

・1976年 埋立地の町名決まる

12)平成(1989年~)

・1995年1月17日 阪神・淡路大震災

・現在に至る

芦屋マダムやん | ほんまでっか

芦屋マダムやん|ほんまでっか

あなたどこに住んでんの?

兵庫県の芦屋市です。

へえ芦屋マダムやん(笑)

・・・・

 

ちょっと芦屋マダムの定義や由来をぐぐってみましたよ。

 

1)芦屋マダムか芦屋夫人か

少し古い時代(1933年ごろ)に、作家で演出家の丸尾長顕さんが

週刊朝日の懸賞に当選したときの小説「芦屋夫人」(ルビで夫人はマダム)が、芦屋市を全国的に有名にしたことが芦屋マダムの始まりだとも言われています。

丸尾長顕氏は1901年生まれ、関西学院卒業、宝塚歌劇団の文芸部所属、

機関紙「歌劇」の編集長を勤め、この芦屋夫人発表後は作家と舞台演出家で活躍、

1951年には日劇ミュージックホールのプロデューサーとなり、踊り子を養成し、ヌードショーを名物にし、芸術的なものにした。(wikipedia)

ともあります。

大人の粋人だったのでしょうか。

 

さて、昔は芦屋夫人といわれ、今では芦屋マダムと揶揄されますよね。

レスペクトされているという感覚はなく、むしろ「ええとこ住んでるやん」「大丈夫?」

また「いいところにお住まいなんですね」から、 「・・・・」と会話が止まるときもあります。

言われるほうにはそんなセレブ意識はなく、気恥ずかしいかぎりとなるのは、私だけでしょうか。

 

2)小説などでは

随筆『芦屋夫人(抄)』大宅壮一/1998.4著

『白洲正子全集 第1巻』(新潮社 2001.5)に随筆として『芦屋夫人』があり

また丸尾長顕のことを“「大人の文化」を体現する

いわゆる「芦屋マダム」の

イメージを仕掛けた人物ともいえます。” とあり。

また婦人公論やファッション誌など、

さらにTVなどのメディアでも取り上げられて有名になったのです。

レファレンス協同データベース から引用)

 

3)小説と夫人

芦屋夫人より以前には

大岡昇平の『武蔵野夫人』

武田繁太郎の『自由が丘夫人」

また銀座夫人などの当時の「有閑マダム」の生活が描かれ評判になりました。

 

4)芦屋マダムの定義

定義はないようです。昔風に云わせていただければ「芦屋に住む有閑マダム」なのでしょうね。

しかし良い意味では、あの芦屋市在住だった文豪・谷崎潤一郎が

芦屋を舞台描く『細雪』に登場する姉妹のイメージなんでしょうね。

 

最近の刊行物では、『芦屋スタイル』(江崎美惠子著)/講談社)があります。

江崎さんは、昭和23年生まれ、兵庫県芦屋市育ち。甲南大学在学中に勝久氏と結婚、隣接の神戸市や西宮市に住んだこともあるが、再び芦屋に戻り、30年。生粋の芦屋マダムだ。37歳のときには得意の料理の腕を生かしたいと、一念発起し料理学校に入学。調理師免許を取得し、平成3(1991)年からは自宅で料理教室を開いている。

江崎グリコ社長夫人が、出版社から「芦屋マダムの目線で若い人に向けたマナー本を出してもらえないか」と持ちかけられ、

引き受けることにしたが、「単なるマナー本ではおもしろくない」。

そこで江崎家の生活や、3人の子育てなど、自分の体験にも触れながら、

マナー(作法)を説く本を作ることにした。(サンケイWEST から引用)

とありました。

芦屋マダムとしてのライフスタイル本ですので、芦屋マダムの一端が書かれています。

 

あとがき

芦屋モダニズム や芦屋史と人 にもありますが、

芦屋マダムとはこうあってほしいというものです。

「芦屋に長年住み、女性の品格と美しさ、また社会活動でレスペクトされるエスタブリッシュ」が真のセレブリティなんでしょうか。

間違ってもブランド外車とファッションで固めたマナー違反のグルメ狂いではニグレクトされまっせ。

 

(つづく)