659-0002-1-15|芦屋カンツリー倶楽部
ゴルフ場は芦屋有料道路(芦有ドライブウェー)にはいる手前を左折した奥山にあります。
1952年開業の会員制ゴルフクラブです。
18ホールあり、クラブハウスからは六甲山を一望のもとに見渡せます。
市民ゴルフチャリティ大会も年1回開催されています。
ゴルフ場は芦屋有料道路(芦有ドライブウェー)にはいる手前を左折した奥山にあります。
1952年開業の会員制ゴルフクラブです。
18ホールあり、クラブハウスからは六甲山を一望のもとに見渡せます。
市民ゴルフチャリティ大会も年1回開催されています。
住所表示 〒659-0003 兵庫県芦屋市奥池町12番1号
毛皮のエンバの創始者・故上野藤次郎氏が仕事で往復した中国で、
清朝から現代までの景徳鎮の陶磁器、書画、刺繍、工芸品など1万点以上を収集。
1980年に風光明媚な奥池町に美術館を開館しました。
清朝の刺繍の展示がすばらしいそうです。
芦屋っぽい風景があるのか、無いのかのベースには
大正年間から流れる「芦屋モダニズム」(阪神モダニズムとも言われるのかも)があります。
芦屋に流れていた「芦屋モダニズム」について、
参考書籍が芦屋市立図書館にあったので閲覧し感じたところを投稿してみました。
大正年間、あの小林一三翁が開発した宝塚劇場や
阪急電車沿線と阪神電車沿線が競うように、
当時神戸市に属した深江村から芦屋にかけて
多くの富裕層が別荘や住宅をつくり移住してきました。
建築家吉村清太郎が設計した、「芦屋文化村」は
緑の芝生に囲まれた洋館建ての貸別荘群でした。
ここにはロシヤ革命から亡命してきた
音楽家や芸術家が集まってきたのです。
当時著名なアレクサンダー・ルーチンなどの門下生が集まって
西洋音楽が伝わる国際交流の場となったようです。
ヴァイオリニストのモギレフスキーや芦屋出身の
有名ヴァイオリニスト貴志康一(きし・こういち)の師であったウェクスラー。
ピアニスト、神戸女学院音楽部教授のフチェフ、声楽家のカラスロヴァ、
また日本初のオーケストラであった宝塚交響楽団の指揮者ヨセフ・ラスカなどが、
外国人向けの「芦屋文化ハウス」に集まりました。
ずいぶん重みがあるんですね、軽井沢や田園調布と並びますね、どうでしょう? 😛
また音楽以外の文化面でも大勢の文化人を育ててきたようです。
芦屋では文豪では細雪の谷崎潤一郎、作家富田砕花、洋画家小出楢重、歌人高濱虚子、登山家藤木九三などの文化人たちが住むことによって、
瀟洒な洋館、風光明媚な街、富裕層の多い街に文化の華が開いたのです。
個人所有の動物園もあったそうです。
これの流れや影響もあって、富裕層が暮らす六麓荘町や涼風町のベルポート芦屋のプライベートマリーナなどの町並みが整備されてきたのでしょう。
また阪神間でも同じような潮流で、神戸なら六甲山や
西宮市なら遊園地香枦園、甲子園球場、阪神パーク宝塚市なら宝塚劇場などが文化や歓楽、スポーツなど相互にモダニズムが勃興したのでしょうね。
※参考:「業平と芦屋100浪漫」から
城山は芦屋市の北部にあります。
むかしここに鷹尾城があったのです、また江戸時代には大阪城築城のための花崗岩を賦役についた大名が切り出しました。
切り出した石は宮川の河口から船で大阪湾を経て、大阪城の建設現場に運ばれたのでしょう。
戦国時代にはこの城山の鷹尾城や芦屋川を戦場にした激しい争いもあったようです。
このあたりの話しは「刻印石」の投稿ページに書いてあります。
アイキャッチ画像は開森橋から上流の遠望で、中央が芦屋川に架かる開森橋、左の山が城山、右の山が奥山です。
マンションは芦屋川左岸にできたシャンポール芦屋川です。
芦屋川のさくらは芦屋一番の桜の名所でもあります。
ここ打出小槌町にあり、宮川に架かった小さなこの「西国橋」が京の都と芦屋を結んだ西国街道なのです。
山陽道とも呼ばれて、九州の大宰府と京を繋いだ国道でした。
西宮から打出小槌町で付近で本街道と浜街道に分かれます。
ここ打出小槌町でには昔一本松の老木があって、参勤交代の行列もここで一服したそうです。
いまも宮川の西国たもとには地蔵堂がのこり、黒いのら猫がのんびりとうたたねをしています。
この近くにはガーデニングの二楽園やロイヤルホストがあります。
昔大きな市場もこの二楽園あたりにあったそうです。
※参考「業平と芦屋100浪漫」