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芦屋モダニズム|芦屋っぽい風景

芦屋モダニズム|芦屋っぽい風景

 

芦屋っぽい風景があるのか、無いのかのベースには
大正年間から流れる「芦屋モダニズム」(阪神モダニズムとも言われるのかも)があります。

 

芦屋に流れていた「芦屋モダニズム」について、
参考書籍が芦屋市立図書館にあったので閲覧し感じたところを投稿してみました。

 

「芦屋の文化村」

大正年間、あの小林一三翁が開発した宝塚劇場や
阪急電車沿線と阪神電車沿線が競うように、

 

当時神戸市に属した深江村から芦屋にかけて
多くの富裕層が別荘や住宅をつくり移住してきました。

 

建築家吉村清太郎が設計した、「芦屋文化村」
緑の芝生に囲まれた洋館建ての貸別荘群でした。

 

ここにはロシヤ革命から亡命してきた
音楽家や芸術家が集まってきたのです。

 

当時著名なアレクサンダー・ルーチンなどの門下生が集まって
西洋音楽が伝わる国際交流の場となったようです。

 

ヴァイオリニストのモギレフスキーや芦屋出身の
有名ヴァイオリニスト貴志康一(きし・こういち)の師であったウェクスラー。

 

ピアニスト、神戸女学院音楽部教授のフチェフ、声楽家のカラスロヴァ、
また日本初のオーケストラであった宝塚交響楽団の指揮者ヨセフ・ラスカなどが、
外国人向けの「芦屋文化ハウス」に集まりました。

 

ずいぶん重みがあるんですね、軽井沢や田園調布と並びますね、どうでしょう? 😛

 

また音楽以外の文化面でも大勢の文化人を育ててきたようです。

 

芦屋では文豪では細雪の谷崎潤一郎、作家富田砕花、洋画家小出楢重、歌人高濱虚子、登山家藤木九三などの文化人たちが住むことによって、

 

瀟洒な洋館、風光明媚な街、富裕層の多い街に文化の華が開いたのです。

 

個人所有の動物園もあったそうです。

 

これの流れや影響もあって、富裕層が暮らす六麓荘町や涼風町のベルポート芦屋のプライベートマリーナなどの町並みが整備されてきたのでしょう。

 

また阪神間でも同じような潮流で、神戸なら六甲山や

 

西宮市なら遊園地香枦園甲子園球場阪神パーク宝塚市なら宝塚劇場などが文化や歓楽、スポーツなど相互にモダニズムが勃興したのでしょうね。

 

※参考:「業平と芦屋100浪漫」から

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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