: 芦屋の伝説

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乙女塚


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芦屋の伝説

を知るためには、そのおとぎ話的な由来を調べてみました。

昔から芦屋に伝わる昔話や伝説を探してみました。

 

「打出の小槌(うちでのこづち)」

その昔、打出に長者がいました。

京の都で宮仕えをして、大手柄をたてたお礼にと賜ったのが宝物の小さな木槌でした。

元々は沖に住んでいた竜神が持っていたものだそうで、

その小槌を振るとどんな願いもかなうのでした。

 

ところで昔一寸法師という若者がいて、お椀(わん)の船と箸(はし)の櫂(かい)、針の刀を持って

京の宰相に仕えました。

そしてそこのお姫様をたいへん好きになりました。

一寸法師はそのお姫様と手に手をとって、都をのがれました。

途中で襲ってきた鬼を退治し、その鬼から打出の小槌をもらいました。

鬼を退治し打出の小槌をゲットした一寸法師、やがて京で美しいお姫様や財宝も得て、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし

鬼を退治し打出の小槌をゲットした一寸法師

さて、その小槌で「背よ大きくなーれ」と言ったら、

背がのびて立派な青年になりました。

また金銀の財宝を打ち出して、

大金持ちになりました。

 

都に戻った一寸法師は宮中で堀川の少将、

つぎには中納言になって、出世しました。

それで両親や妻子と一緒に幸せに暮らしましたとさ。

 

でもこちらの芦屋の打出の小槌はどうなんでしょうか、

せっかく打ち出した金銀財宝は、

なんと鐘の音が聞こえたらすべて消えてしまったそうですよ。

一寸法師とは違っていたようです。

ただ今でも、打出小槌町として名前が残っています。

めでたし、めでたし、めでたくもなし~

 

「芦屋 道満(あしや どうまん)」

昔、村上天皇の時代に

鷹尾山麓の大屋敷に陰陽師(おんみょうじ)の

芦屋(蘆屋)道満が澄んでいたそうです。

道満の弟である石川悪衛門が妻の難病を治したいので

道満に占ってほしいといいました。

その答えは泉州信田(しのだ)の森に住む白狐の生き胆がよいと占いました。

信田の森の白狐であった葛の葉は、やがて生れた阿部の清明と別れます。阿部の清明は後に都で一番の陰陽師となりました。

信田の森の白狐であった葛の葉

 

悪衛門はさっそく狐狩りをして白狐を捕まえるところだったのですが、

たまたま通りかかった陰陽師の阿部保名に白狐は助けられました。

芦屋道満と阿部晴明

右が蘆屋道満、左が安倍晴明

後でお礼をと人間に変身した白狐は「葛の葉」(くずのは)と名乗り、

助けた阿部保名と夫婦になりました。

生れた子供は最近ブームの映画や漫画でも有名な

陰陽師阿部晴明(あべのせいめい)になります。

清明は白狐の母からもらった水晶だまをつかって、

世の中の動きをすべて知ることができ、

都では天下一となったのです。

しかし蘆屋の道満は嫉妬の末に讒言(ざんげん)し、

帝の前で占い比べをしましたが、負けてしまいました。

道満は都を追われて、最後は播磨の佐用町でなくなりました。

というお話しでした。

 

 

 

「おとめ(処女)塚(づか)」

昔、芦屋の里には優しく美しい「うない乙女」がいました。

ところが二人の男子からプロポーズされます。

芦屋の男子「菟原壮士(うないおとこ)」と

和泉の国の「茅渟壮士(ちぬおとこ)」です。

 

乙女はどちらかを選べずに困り果てて、

出した問題が生田川の水鳥を射当てた方に答えたい。

ところが双方の矢が的中したため、

乙女はいきなり生田川に身を投げてしまったのです。

それを知って男子二人も身を投げて後を追ったのでした。

神戸の生田川に身を投げた、芦屋の乙女と慕った二人の男子の塚が灘区に残っています。

乙女塚

 

乙女の両親はこれを悲しんで、「処女塚」を作って、

男子の両親たちもこの塚を挟むように

東西2キロに「東求女塚(もとめづか)」と「西求女塚」を建てて、

3人の冥福を祈ったと伝えられています。

wikipediaによると、その所在地は東灘区御影塚町の処女塚、

灘区都通の西求女塚、東灘区住吉宮町の東求女塚は

彼らの墓と伝えられているそうです。(タイトル写真)

 

現代の男子・女子ならどうなんでしょうか

 

「ぬえ塚(づか)」

平家物語でのお話しだそうです。

昔近衛天皇の御代でした。

丑の刻(午前2時ころ)になると、夜な夜な、

三条の森から黒雲が宮中に立ち込めはじめ、

天皇は不明の病になるようになり、

たいそうな苦しみになりました。

 

当時語り継がれていた、あの大江山の酒吞童子(しゅてんどうじ)を退治した

源頼光(みなもとのらいこう)の五世の末孫であった弓の名手源頼政

この化け物退治を頼みました。

源の頼政が退治した怪物ぬえ、この遺骸が芦屋の浜に流れ着き、丁重に里人に葬られて、後世ぬえ塚が残ったという伝説です。

源の頼政が退治した怪物ぬえ

 

ある丑の刻に現れた時、

頼政が神仏の加護を祈って放った矢は、

黒雲の隙間から垣間見えたばけもの見事命中したのです。

「ギャー」という悲鳴で地上に落ちてきたのは、

なんと頭が猿、体は狸、手足はトラ、

尻尾は蛇の妖怪(ぬえ)だったのです。

 

里人はたたりを怖れ、ぬえの遺骸を木の舟に乗せて加茂川に流しました。

この舟は淀川から大阪湾そして芦屋の浜に流れ着いたそうです。

現在はこのぬえ塚が芦屋浜に近い芦屋公園にあり、

後世につくられたようです。

 

 

「海鳴(うみな)りと竜頭火(りゅうとうび)」

芦屋浜の夜の海で、

ちょうど親王寺の沖合いあたりを舟で通りかかると

突然の大きな海鳴りと海荒れが起こって、

舟が転覆しました。

そのため舟はここを通る時にはいつも帆を降ろしていたそうです。

在原業平の父君であった阿保親王のたたりだといわれていたそうです。

当時、闇夜には海中のあちらこちらから青白い光が走ったそうで、

この奇怪な光が出るたびに里人たちは

竜神様のために魚たちがお祭りをしているんだ」

と語り継いできたそうです。

 

 

「金兵衛車(きんべいぐるま)・焼け車(やけぐるま)」

芦屋の水車谷に昔大きな格式のある水車小屋「金兵衛車(きんべいぐるま)」がありました。

京の御所や江戸幕府に献納する灘の酒になる酒米をついていました。

この季節には丹波からすぐれた若者が選ばれ、

水車小屋の厳しい掟があって、

芦屋川で体を清めた後は、

米をつき終わるまでは小屋から一切外に出られないのです。

 

ある年に選ばれた丹波の若者が名誉のためここへ派遣されました。

彼には可愛い恋人がいました。

丹波に残された恋人の思いも募るばかりでした。

ある日、家からの縁談を断ると家出して、

水車小屋を訪ねてきて、戸をたたきました。

 

しかし厳しい掟があったため、

彼は声もかけられませんでした。

恋人はくる日もくる日も戸をたたいて、

彼の名前を呼びながら、

半狂乱で金兵衛小屋の周りを回っていました。

 

ある冷たい雨の日に小屋の周りを榊を手にしてすごい形相で回っていると

突然この娘の体から青い光が出て、

一瞬にこの怪しい炎が小屋を包んですべて焼き払われました。

娘はもちろんのこと、小屋の主人や若者も焼け死んだのでしょう。

 

その後、水車谷では里人や童たちが「金兵衛車(きんべいぐるま)焼け車」

わらべうたにまでなったと言い伝えられています。

 

 

「高嶋池(たかしまいけ)のがたろう」

がたろうとは河童(かっぱ)のことです。

昔の芦屋も農家の水不足を補うため、

いたるところにため池が作られていました。

三条村高嶋池高座川(こざがわ)からのきれいな水を引き、

まんまんと水たたえていました。

 

誰も見たことがなかったのですが、

高嶋池にはがたろうが棲んでいると村人たちは信じていました。

夏になると子供たちが虫やトンボとりに池に行くと、

親たちは「がたろうに連れて行かれるぞ」といって

泳ぐのをやめさせていたものです。

 

そんなある日、深江の漁師たちが地引網でがたろうを捕まえようとしたのです。

地元三条村の村人たちは「勝手なまねをするな」と大騒ぎになりました。

この騒ぎがブームとなり、

人手を目当てに出店まででるようになったのです。

しかし騒ぎは沈静化、

所在もわからないままになっていましたが、やがて

池が埋め立てられることになって、

水を抜いて見たところ池の真ん中に

岩が一つ転がっていたそうです。

 

がたろうはどこへ行ったのでしょう。

 

※参考文献:「業平と芦屋100浪漫」(制作:芦屋100選制作委員会)

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