2001年5月5日(土)

脳内出血から6年…「お寿司」でお祝い


Quote…Unquote: Try not to become a man of success but rather to become a man of value. - Albert Einstein (U.S.-Swiss-German physicist and Nobel Prize winner in Physics, 1879-1955)

 

宮崎淳さん。なんと11年ぶりの再会であった。

5月2日の夜、久しぶりに家族が集合して、愛車(パサバリ)に犬・猫3匹も乗り込み一路富山に向かった。例の家族大移動である。

3日は、高岡市伏木の自宅周辺を散策したり、親戚回りで一日を過ごした。

年末から春先まで寝こんでいた祖母が、台所に立って、地元名物である「西田の筍」を煮たり、筍飯を作ってくれた。

午後、甥っ子が経営する「小松接骨院」に出かけて、1時間かけて全身のチェックをしてもらった。

高岡市の名門接骨院T医院で弟子見習を終えた後、現在の場所に病院を構えて十数年になる。

3、4年前から勉強し始めた「整体」(彼はソフトカイロと呼んでいる)もずいぶんとうまくなった。

毎年1、2回、帰省するたびに施術をしてもらうのだが、毎回、それが進化し、感心するくらいうまくなっている。

今回は、初めて寸志を払わせてもらった。

日頃の勉強(日中は患者さん、夜は往診、勉強は9時頃から深夜に至るとのこと)と鍛錬の賜物である。

それだけの腕を持っていても、現在の医療保険制度では、整体の勉強代を払いながら家族を養っていくのは"なかなか難しい"ようだ。

帰宅後、次女と一緒に「ハリー、ルナ」を散歩させる。

散歩の途中に寄った古府小学校の校庭に「紫式部」の木が植えられていた。私が生まれたこの地が万葉の時代に越中の国府であったことと、源氏物語の作者に由来するこの木の名前が何か関係あるのかしら、といったたわいのない話しをしながら帰宅する。

4日は、カミさんと富山市に出かけて友人を訪問した。

午前中は、NHK富山支局に勤務されているTさんのご自宅に伺った。前庭に咲くお花畑を鑑賞しながら、時事談義。T氏は私がテニスを始めるきっかけとなった、いわゆるテニスの恩師である。

午後からは、当見聞録:2000年10月9日(月) 祖父の七回忌と「アーネスト・サトウの写真集」に登場して頂いたK氏が経営する「天下堂洋品店」と、奥様が経営する「パーティハウス」に寄り、またまた時事談義。

16:00に、盛システム開発の盛社長とアポイントがあったので、有沢橋付近のガーデニング屋で観葉植物の鉢植えを購入して、オフィスを訪問した。

なんと、センスのいいオフィスであるあろうか。この盛氏については、別掲の「忍のITコラム第4回」に登場頂くので割愛する。

夕食をSIビジョン:ハートウェア社「谷川社長」にご馳走になった。この谷川社長は、私がコンピュータビジネスに入って最初にお会いしたビジネスマンである。

言わば、駆け出しの私をOJTで鍛えてくれた方であり、お礼の仕方、名刺の出し方、電話の掛け方等"ビジネスのいろは"を教わった方である。

生簀からタモですくいあげた日本海の新鮮なお刺身と地元の清酒「ます泉」を堪能させて頂いた。

何時になったら、この方に恩返しができるのだろう。


ようやく本題に入る。

宮崎淳さん。1995年に「脳内出血」で倒れられたとのことであった。

昨年行われた富山国体に「車椅子で聖火を運ばれたお便りがあった」とS理化学S取締役からお聞きしたのが今年3月であった。

どのようにお話していいものか。思いきって電話をお掛けしてみたらどうだろうか。

前述の盛社長にも、連絡が取れているか事前に聞いてみた。

同じ富山に住む彼が、昔の上司であった宮崎さんとは"顔を合わせていない"とのこと。

いろいろ悩んだ挙句、思いきって川越から宮崎さんのご自宅に電話をしたのが、4月末であった。

今日5月5日が、かれこれ11年ぶりの再会となった。

倒れられた時は、植物人間を覚悟して下さい、と医師に言われたそうだ。

その後、右側半身不随ではあるが、左手にマウスを持って、富山国体の聖火ランナーの写真を自分で取り込み、年賀状を出せるまで回復されたとのことである。

当時、中学2年生だったお嬢様と奥様の苦労話を聞かせて頂いた。

宮崎さん本人も「ひっどいもんや」と笑いながら、2年前に引っ越してきた新居で、夕食をご馳走になった。

奥様がずーっと勤務して家族を支えてきた富山のお米屋さん、そのお米を納めているお寿司屋さん、そのお寿司は絶品であった。

(つづく)

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